『おわり、はじまり』

 

 飛行機が徐々に高度を下げ、やがてタイヤが滑走路に触れると、機内はガタガタと揺れた。地上を走る轟音を数秒鳴り響かせたあと、飛行機はゆったりとした速度で所定の搭乗口へと向かい、ほどなくして完全に静止した。ポーン、と機内で合図の音がして、乗客たちはシートベルトを外し、座席の頭上のトランクからそれぞれの手荷物を取り出し始めた。

 

 土日を丸々使って、私は2年ぶりに帰省した。これほど間が空いたのは初めてかも知れない。奇妙な感染症が流行り出してしばらく帰れなかった、というのも確かに理由の一つだが、もしそれがなくても、「忙しい」とかなんとか理由をつけてしばらく帰っていなかっただろう。別に両親と仲が悪いわけではない。ただなんとなく、都会で一人ブラブラと暮らす気楽さに心も体も完全に慣れきってしまっていたから、生真面目な生活リズムを強いられる実家に帰るのは、言ってみれば一つの禅修行のようなものだった。

 到着ロビーで荷物を全て受け取って、ゲートの方へ向かった。ゲートの上の方には「めんそーれ」と書かれたいつもの看板があった。きっと観光客はこの看板を見て、これから始まる旅の高揚に心を踊らせるのだろう。とんでもない。私はこれから禅修行なのだ。

 

 ゲートの向こうに、両親の顔が見えた。2年ぶりに会う父の顔はそれほど変わっておらず、白髪が多少増えた程度だったが、母の顔は明確に老いを見せていた。2人ともまだ現役で働いているとはいえ、もう70を過ぎた高齢者だから仕方のないことだ。でもやはり、思った以上に長い年月が私たちの間に過ぎてきたことを実感して、胸の奥に何かがチクリと刺さった気がした。もしかしたら自分はこういう気分になることを敬遠して、無意識に帰省を避けてきたのかも知れなかった。

 

「ちょっと痩せたね?どうね、飛行機は混んでたね?」母の甲高い声だけは、以前と全く変わらなかった。

「いや、全然。ガラガラだった」

「飛行機、ちょっと遅れたか。20分くらいか。」父は、久々に会った息子とぎこちなくコミュニケーションを取ろうとして、尋ねるでもなく小さな声でつぶやいた。

「…うん。機体の整備がどうこう言ってた。」

 私はなんだか照れ臭くて、二人に訊かれたことにだけボソボソと返事をした。

 建物を出て立体駐車場へ続く渡り廊下を歩くと、3月の那覇の湿った風が頬に吹きつけた。

 

 父親の車のトランクに荷物を詰め込んだ。いつからか、父親の車はプリウスに変わっていた。“高齢者の運転するプリウス”は、世相もあってか、時にそれだけで悪評の対象になる。しかし私の地元のように公共交通機関が発達しておらず、高齢者にとっても自家用車は絶対に無くてはならない必需品で、その中でも燃費をできれば節約したいとなると、この車種を購入するのはしばしば最も有力な選択になるのだ。

 後部座席に乗り込むと、チャイルドシートが取り付けてあった。姉夫婦が帰省したときのために、一人息子のY君用に両親が用意したものだった。

「Y君、元気?」私は初めて自分から両親に質問した。

「ああ、もう。この間帰って来た時、こーんなに大きくなって。もう5歳よ。またさ、お姉ちゃんがY君にべったりなわけさ。毎日写真が送られてくるよ。ほら」

 そう言うと母は私にスマホを渡し、家族間の共有アプリに収められた何枚ものY君の写真を見せてきた。誕生日ケーキの前で笑うY君、電車の車掌さんの帽子を被って指差し進行のポーズを見せるY君、美容院で髪を切ってもらっているY君、あるいはその隣で穏やかに笑う姉と義理の兄。あまりにも写真の数が多かったので、途中で見飽きて母にスマホを返した。

 仕事もプライベートも完璧にこなす、私から見れば超人同然の姉と義理の兄に育てられて、Y君は一体どのような人生を送るのだろうか。確実に立派な子に育つに違いないと思いながら、少しだけざわつく気持ちもあった。沢山の愛情を注がれ、その恩恵を目一杯生かして幸せに生きる人間の方が多いはずだが、愛情をうまく消化できずに静かに腐っていく人間もいる。

 

 相変わらず渋滞気味な那覇の幹線道路を抜けて、隣の市の実家までようやくたどり着いた。私が18まで暮らしたこの家は、私が生まれた頃とほぼ同時期に建てられたものだから、もう築30年を超え、あちこちに少しずつガタが来始めている。しかし久しぶりに帰ってみると、家の中は思いのほか整然としていて、何箇所かはリフォームも施されていた。二人暮らしが長いと家の普請も丁寧にするようになるのか、それとも年に何度か帰ってくる孫たちのために少しでも良い居住スペースを提供しようと両親なりに頑張っているのか、どちらかは分からなかった。そう言えば私自身は、自分が一人の子の叔父である自覚など今もほとんど持っていなかった。私の周りだけが、何もかも少しずつ変わっていた。

 

 受験勉強とゲームと自慰行為の記憶がつまった自分の部屋で少しだけ眠ってから、リビングで三人で夕食を取った。雑穀米のご飯、ハンダマの葉と冬瓜を炊いた味噌汁、かぼちゃの煮物、昆布と人参の和え物、そしてサラダ。昔から筋金入りの、あるいはヒステリックなほどに健康マニアだった母が作る夕食はますます加速していた。当然、アルコールは一滴も出ない。正確に言うと、父はそれが夫婦喧嘩の種になるほどの大酒飲みだったのだが、数年前に癌が見つかってからはピタリと酒を止め、ノンアルコールビールのみに切り替えていた。幸い、早期の癌発見だったために手術でほぼ完治し、今では毎晩のウォーキングも欠かさない。父も父で根は恐ろしく真面目であるため、土砂降りの雨の夜に母が止めてもウォーキングに出かけるらしく、母も呆れていた。父は定年まで病院勤めの後、小さな保健所のような施設の管理職に就いて今は悠々暮らしているかと思いきや、件の感染症の流行で、その対策やワクチン業務に駆り出され、いまいちやる気のない職員たちを毎日叱咤しながら、それなりに忙しく働いているようだった。しかし、父のように仕事一本の人生で、プライベートでは全くと言っていいほど趣味を持たない人間には、その方が丁度良いのではないかと密かに思った。

 

 母の作った、見るからに健康そうな、そして味のしない料理を食べながら、自分の20代の頃の一人暮らしのことを思い出した。人より少し長く学生をしていたこともあり、家で酒を飲んで時間を埋めることを覚えた。社会人になってもそれは変わらなかった。酒を飲んで頭を痺れさせ、好きな音楽を聴いたり映画を観たりして、自分を遠い想像の世界へ持っていく気持ち良さのようなものを毎晩繰り返していた。それが、自分の勉強や仕事のストレスから逃れるためのものだったのかは、今も分からない。ストレスなど、自分と同年代の人間だっていくらでも抱えている。自分だけが特別に過酷な環境で過ごしていたとは思わない。ただ単純に、自分がそうして何かに耽りがちな性格だっただけかも知れない。さすがに今は酒も減った。それにしても、こんな家庭に生まれて、なぜ自分のような不道徳な人間が出来上がったのか、そのことだけが不思議で仕方なかった。

 

「明日、おばあちゃんのところ、昼過ぎに行くからね」食べながら母が言った。私が今回帰省した一番の目的だった。

「うん。おばあちゃん、最近どう?」

「一時期よりは良くなってるけど。少しずつ自分で歩いたりするようになって。でも全然ご飯食べないのよ」

 母方の祖母は90を過ぎ、明らかに体調が弱っていることは前々から両親に聞いていた。もしかしたら、といった話も聞いていた。しかし、時勢もあり、孫とはいえ東京から会いに帰ることは控えていた。ただ、家族全員ワクチン接種も済ませ、少しだけ感染の状況も落ち着いた今、手早く帰って会うことに決めた。祖母の顔を見る機会は、もうこの先数えるほどしかない。

「おばあちゃん、今も一人なの?」

「それがさ。もうホントに、何考えてるのかね、HとMさんは」

 Hは祖母のただ一人の息子、いわゆる末っ子長男で、私の叔父にあたる。Mさんは叔父の三人目の妻だ。叔父ももう還暦を過ぎたはずだが、数年前にMさんと再々婚をした。叔父は祖父母の経営していた会社を引き継ぎ、この狭い地元で何かと人付き合いが多く、ずっと独身のままでは座りが悪かったのかも知れないが、結局のところ結婚の理由など当事者にしか分かりはしない。今は二世帯住宅で、下の階に祖母、上の階に叔父夫婦が住んでいる。

 母が言うには、本来ならば叔父夫婦が祖母の世話をするか、または病院や施設に入所させるなどすべきであるが、そのどちらもいまいち行っておらず、祖母が体調を崩すたびに母が車で駆けつけて対応をしているという。

「この前、ちょっとだけ、電話でMさんとやり合ったのよ。Mさん、『私たちの夫婦の時間が奪われる』って言うけど、あなたたちが一番近くに住んでいて、色んなものも祖母から貰っているんだから、あなたたちでまず世話をするのが筋でしょう、って」

 どうやらMさんは、自分たちのプライベートと夫の母親の世話は全くの別物であるという、とても現代的な感覚の持ち主のようだった。私は、別にそれが間違っているとは思わない。結婚したからといって、相手の家のことも無条件で引き受けなければならないというのは酷だ。ただ、現実として祖母が弱っているのだから、ここをどうするかは家族の中で話し合ってお互いが少しずつ協力するしかない。しかし、お互いの人間性に一度でも苦手な感情が芽生えると、その話し合い自体がなかなか生まれないようだった。

 

 翌日、昼食を済ませてから、三人で祖母の家へ向かった。玄関を開けると、懐かしい匂いがした。私が初めて会う女性が出迎えてくれた。新しく来てくれているお手伝いさんで、Aさんというらしい。Aさんが炊事や洗濯や清掃をしてくれているおかげで、今の祖母の生活は保たれている。しかし当然ながら、祖母の介護まではAさんの業務ではない。夜になればAさんは家に帰り、AさんにはAさんの暮らしがある。

 

 祖母は、リビングのテーブルのいつもの席に座っていた。私たちがリビングに入るなり、祖母の顔は大きく綻んだ。

「まあ!まあ!…久しぶりねえ。…あらららら!」祖母は、私が思っていたよりも幾分元気そうで、よく笑ってくれた。

「どう、おばあちゃん、最近元気?」

「うん、もう、とーっても元気よ!」

 祖母はかつてバリバリ働いていた頃、英国のサッチャー元首相に憧れて、頭にモコモコのパーマをあてていた。その頭は、今は3分の1くらいにしぼんでいた。背丈も、私の記憶よりとても小さくなっていた。

 お茶を飲みながら、祖母といくつか言葉を交わした。会話が途切れても、母がどんどん話題を振ってくれるので困らなかった。父は、へへ、とかハハ、とか後方から相槌を打ち続けていた。

「それで、R君、あなたもう幾つになったの?」

「もう、32だよ」

「まあ、そうですか。お嫁さんは?」

「ハハ、いないよ」

「そう。もう立派な大人だから、あとは子どもが楽しみだねえ。」

 きっと私が女性だったら、祖母の無邪気な言葉は私をいたく傷つけていたかも知れない。でも、私はもう自分自身に何も期待していないし、祖母の世代には当たり前の価値観なのだろうから、ハハ、と笑って流した。それよりも、今こうして祖母と会話をしていることが大事だった。

 

「じゃあね、また来るよ、おばあちゃん」

 玄関で祖母に見送られながら靴を履いた。

「はい、またいらっしゃい。今度はいつ帰ってくるの?」

「また、すぐ来るよ」

「そうですか。東京は寒いでしょう。そういえば、R君、あなたもう幾つになったの?」

 今日で三度目だった。丁寧に答えた。

 

 空港まで両親に送ってもらい、手荷物検査場の前で礼を言って別れた。検査の列を過ぎて一瞬だけ振り返ると、まだ両親が立っていた。また手を振りながら、ふと、そう言えば、もうこの二人にも孫がいるんだと思い出した。

 

 搭乗口のロビーに座ってアナウンスを待った。ビールを一本買って飲んだ。いつか、私はちゃんと叔父さんをやらなきゃいけないと思った。

 

 

 

《おわり》