『真夏のはなし』

 

 あ、どうも、よろしくお願いします。とりあえず、質問されたことにどんどん答えていけば良いんですね。わかりました。僕、インタビューなんか受けるの生まれて初めてだから、緊張しちゃって。東京の生活史の聞き取り調査、でしたっけ?なんか、難しそうなことやってますね。僕、高校も途中で退学しちゃって、ほとんど中卒みたいなもんだから、難しそうなことはよくわからないんです。こうして大学のセンセーなんかに会うのも生まれて初めてだし。シャカイガク?へえ、そんなものがあるんですか。

 

 はい、名前は、石山健一といいます。年は、もうすぐ54になります。仕事は、建設業で働いています。今の会社?もう働いて8年くらいになりますね。ずっと現場のバイトだったんですけど、実は去年、社長が正社員にしてくれたんです。いや、ホント、ありがたい話です。僕、一つの職場がこんなに長く続いたのも初めてで、正社員になったのも初めてで。ホント、全部今の社長のおかげです。

 

 生まれも育ちも、ずっと東京です。はい、東京の江東区です。東京の東の端っこ。親父は定年まで工場勤めで、鋼板とか作ってたみたいです。うちの地域、そういうの多いんです。母親は専業主婦でした。当時からしたら本当に普通の家でした。めちゃくちゃ普通。なのになんで僕みたいなのが生まれちゃったのかな、みたいな。

 あ、いや、別に大した話じゃないんですけど。さっきもチラッと言ったんですけど、僕、高校も途中で辞めちゃったりしてて。別にいじめられたりとかじゃないんです。ただなんとなく、毎日ずっと学校に行って帰ってきての繰り返しみたいなのがしんどくなってきちゃって。勉強もあんまりできなかったし。それで、一度休む癖がついたらどんどん行かなくなって、高1の終わりくらいに学校を辞めました。

 それからですか?うーん、一年間くらい引きこもりでしたね。何して過ごしてたか?…あんまり思い出せないんですよね、その時期のこと。漫画読んだり、音楽聴いたり、あとはずっと布団で横になってたと思います。漫画?ちょうどカムイ外伝の二部が始まったくらいで、一番ハマりました。あと普通に北斗の拳とかも読んでましたね。ドラゴンボールも一応始まってたんですけど、僕は読んでないですね。最初はあんまり注目されてなかったんですよ、ドラゴンボールって。Dr.スランプの方が面白かった。

 で、そんな感じでダラダラ過ごしてたら、親父からそろそろ働いたらどうだって言われて。うちの親父、普段ずっと無口であんまり僕と会話もなかったんですけど、急に親父からそう言われたんで、結構びっくりしたというか。でもちょっと安心したりもしたかな。だから「うん」って言って。それで、親父の紹介で、近所の小さい電器屋で働き始めました。

 仕事の内容は、ほとんど力仕事でした。冷蔵庫とかエアコンとかが定期的にドサっと届くんで、それをトラックから下ろして倉庫に運んだり、お客さんのところに配達に行って取り付けしたり。発注とか営業とか、難しいことは僕はやりませんでした。っていうか、やらされても出来なかったと思います。力仕事の方が僕は向いてるから。

 それで、4年くらい働きましたね。仕事は特に問題なく出来てて、人間関係も全然悪くなかったんですけどね。うーん。なんていうか、こういうのが僕のホントにダメなところなんですけど、一つのことがずっと続かないんですよ、僕。何が嫌とかじゃなくて、とにかく長く続けられないんです。その日も、午前中仕事して、昼休みがあって、その後事務所に戻らなきゃいけなかったんですけど、昼飯食いながら、なんか自分の中でプツって切れた感じがして。そのまま着替えて、駅まで行って、電車に乗りました。別に行き先とか考えてなかったです。電車に乗った瞬間、ああ、俺またやっちゃった、また自分から大事な場所失っちゃったって思って落ち込んで。22になる年でした。真夏でした。確か7月か8月だったと思います。

 

 上野で降りました。どうして上野だったのか思い出せないんですけど、多分賑やかな場所に行って気を紛らわせたかったんだと思います。東京の下町に住む人間からしたら、一番馴染み深い大きな街は上野だったんです。アメ横の通りや路地を何時間もぐるぐる歩きました。真夏なのに、なぜか僕の身体はずっと冷たく感じました。ひたすら歩いて、気づいたら夜になっちゃってて。家に帰りたくありませんでした。

 ちょうどその時、小さい映画館を見つけました。少し前の名作とかをリバイバルで上映してる、単館系ってやつです。看板を見ると、その日は『レインマン』をやってました。ちょっと前にアカデミー賞を獲った映画だったから、僕も名前くらいは知ってました。自動車工場を経営する弟と、自閉症の兄のロードムービーです。夜間上映だったんで、これから上映する回を観ると終電が無くなるんですけど、僕はその方が都合が良かったから、切符を買って中に入りました。平日の夜だったからか、シアターに客は僕一人でした。

 またこの『レインマン』が、いい感じに僕に刺さる映画でね。弟をトム・クルーズが演じてるんですけど、こいつが本当にダメな奴なんです。行き当たりばったりで不真面目で、会社の経営はガタガタ。しょっちゅう債権者から電話がかかってきて、色んなことを先延ばしにして、もう首が回らないっていうか、閉塞感漂う奴なんです。なんか、思いっきり僕みたいな奴なんです。それを観て、ちょっと笑っちゃったっていうか、映画の中だけど僕みたいな奴が他にもいるんだと思って、少し救われたような気持ちになって。良い映画でした。

 映画が終わって、さあどうしようかって立ち上がると、僕の席の後ろの列に、もう一人お客さんがいたんです。ぱっと見で、僕と同じくらいの年の女の人でした。実は僕の2個上だったんですけど。途中から入ってきたのか、僕はずっと気づきませんでした。なんとなく同じタイミングでシアターを出て、僕がトイレに行こうと思ってトイレがどこかキョロキョロしてると、彼女も同じようにキョロキョロしてて、「お手洗い、あっちですかね?」って彼女が僕に話しかけてきました。彼女が指さす方向を見るとトイレの看板があったので、「ああ、あっちですね」って返しました。二人でトイレの方まで一緒に歩きました。十秒間くらいだったかな。こういうとき何か喋った方がいいのかなと思ってたら、「映画、どうでした?」って彼女の方から話しかけてくれました。面白かったです、僕はむしろ弟の方にシンパシーを…と言いかけた直前でトイレの前に着いちゃったので、僕は「あっ、あっ…」と情けない声を出しました。彼女は少し笑って、「じゃあ、後で」と言いました。

 僕の方が先にトイレを出て、必死に映画の感想を頭の中でまとめながら彼女を待ち構えました。しばらくして彼女が出てきました。僕は、

「や、この映画のテーマは言っちゃえば兄弟愛みたいなことだと思うんですけど、僕的には、障害を抱えながらも真っ直ぐに生きる兄と、狡くてちゃらんぽらんに生きている弟の姿のコントラストのような部分が良くて、しかもどっちかっていうと弟の方に自分を重ねてしまってグッときちゃいましたね」

 みたいなことを精一杯カッコつけて言いました。チラッと彼女の顔を見ると、彼女の表情は明らかに引きつっていました。僕はとっさに、

「すいませんでした」と言いました。彼女はますます困惑した表情で、

「…なんで謝るんですか?」と言いました。

「や、なんか、言い過ぎたかなって思って」

「…言い過ぎたってどういう意味ですか?なんか酷いこと言ったって意味ですか?」

「や、そうじゃなくて、あんまり求められてないのに元気よく喋りすぎたかもなって思って」

 僕はだんだん自分がとても惨めに思えてきました。早く帰りたい、このままだと僕も彼女も不幸になると思いました。その時、

「…せっかくなら、どこか入って話しませんか?始発までまだ時間ありますよね?」と彼女が言ってくれました。僕は泣きそうな声で、そうですね、そうしましょう、と答えました。

 

 しかし、その後隣の居酒屋に入って落ち着いて喋ってみると、彼女はとても面白くて明るい人でした。彼女はその時、女性週刊誌のライターの仕事をしていました。女性の関心がありそうな俳優や女優やタレントのところに取材に行って、タイムリーな話題の記事を書いて出稿するんだそうです。正社員ではなくその雑誌の記事作成を請け負うライターという形で、1年ごとの契約更新らしく、毎年結果を出しながらバリバリ働いていました。彼女は、本当はもう少しクリエイティブな仕事がしたいと言っていましたけど、僕から見たら彼女は十分に立派でした。

 

 そして僕の方も、もう彼女の前でカッコつけたって仕方がないと思って、自分のことを洗いざらい話しました。高校を辞めて引きこもりだったこと、何をやっても続かない性分のこと、まさに今日仕事を辞めたこと、無口な親父もさすがに今回ばかりは僕に激怒するかも知れず、怖くて家に帰れなくてあの映画館に入ったことなど、自分のダメな部分を、むしろ彼女に逆の意味で張り合うように、面白おかしく話しました。彼女は僕の話をずっとけらけら笑って聞いてくれました。僕はそれが嬉しくて、もっと笑って欲しくて、頭の中で必死に自分のダメな部分が他にないかずっと探していました。こんなことなら、もっと思いっきりダメな人生を送って来れば良かったとすら思いました。

 始発の電車が動き出して、そろそろお店も閉まる頃、彼女が「そんなに家に帰りたくないなら、この後うちに来る?」と言いました。その日、僕は初めて女性の家に泊まりました。

 

 その日から、僕たちは何度か会うようになりました。今まで読んできた漫画、観てきた映画、お互い最近興味があるものの話などを沢山しました。僕は好きになった作品を何度も何度もリピートするタイプですが、彼女は手広く色んなジャンルのものを好むようでした。また、彼女は仕事柄、色んなところに取材に行くので、この世の中の仕組みについても沢山知っていました。僕は彼女と話をするのが毎回楽しみな反面、彼女とは逆に何もない空っぽな自分を思い知らされる感じがして、少し落ち込んだりもしました。僕はそのことも彼女に正直に話しました。彼女は、別にいいじゃん、といつものように笑いました。

 

 僕は、少しずつでも自分を変えようと思って、とりあえずまた働くことにしました。正直言うと、当時はバブル全盛で、仕事は探せばいくらでもありました。特に割りが良かったのは現場系で、建設現場をよく選んで働きました。その時に色々と仕事のやり方を覚えたので、今も建設業で働いているんだと思います。お金が入ると彼女を誘って、少し高めの焼肉なんかをご馳走したりするようになりました。

 

 でも、どういうわけかそのくらいの時期から、彼女と会う回数は減りました。僕が働き始めて、以前ほど予定を合わせづらくなったというのもあるんですけど、彼女の方で最近仕事が忙しくなってしまってしばらく会えないと言われることが多くなりました。たまに会っても、以前のように会話が盛り上がることもなくなってきた気がしました。もしかしたら、僕が最近の自分の仕事のことを、大変だけどやりがいのある仕事だとか、今東京にどんどん建っている高層ビルはまさに僕らが建てているんだよとか、そんなことを、求められてもいないのに元気に話しすぎていたのかも知れません。

 

 やがて彼女は、電話にも出てくれなくなりました。今みたいにスマホなんて無い時代ですから、家の電話が繋がらなければ彼女と連絡を取る手段はありませんでした。せめて自分の最後のプライドだけは守ろうと思って、彼女の家まで行って会おうとするようなことはしませんでした。

 

 あれから30年経ちました。結局、僕の中身はあの頃と何一つ変わってないように思います。

 でも、懐かしいなあ。いや、別に懐かしくはないか。今でもしょっちゅう思い出すから。

 

 

…あの、さっきから僕、自分のことばっかりペラペラ喋ってますけど、聞き取りってこんな感じでいいんですか?

…そうですか。ならいいんですけど。なんか変な学問なんですね、シャカイガクって。

 

 

 

《おわり》